エクアドル南部アマゾン熱帯雨林にあるシュアール人の集落、ケンクイム村。この秘境に暮らすセバスティアンとパストーラ夫妻は、変わりゆく世界と今なお生命力にあふれる森との狭間で生きている。かつて首狩り族として恐れられたシュアール人は、スペインによる植民地化後も武力征服されたことがない民族として知られている。口噛み酒を飲み交わしながら日々森に分け入り、生活の糧を得る一方で、彼らはアヤワスカを始めとする覚醒植物がもたらす「ヴィジョン」や自ら発見した薬草によって、柔軟に世界を把握していく。変化し続ける森との関係の中で、自己の存在を新たに紡ぎだしながら。しかし、ある日彼らに試練が訪れ、物語は予想を越えて旋回していく……。

手持ちカメラによる没入感、詩的な映像美、先鋭的な学術的感性の高次元での融合により、本作はアマゾン熱帯雨林の先住民世界を今までに存在しなかった感覚とともに体験させるドキュメンタリーです。

予告編

オンライン配信

以下のストリーミングサービスより、全編が視聴可能です。

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カメラを持った人間=人類学者が植物の内面空間に入り込んでいく。
そこに充満する劇液によって、森に暮らすあらゆる生き物が生かされ、癒され、超越領域への扉を開かれている。カメラは植物の外部にあるのに、それがとらえる映像はたしかに植物の内面空間へ潜り込んでいるように、私たちは感覚するのだ。映像による人類学は、この映画によってまた一歩、自然の奥に入り込むことに成功した。

中沢新一


新しい才能による、大変な力作である。人間は文明化によって様々な能力を失ってしまったのだなあと、痛感させられる。「森を壊すことは、自分を壊すことなのだ」という主人公の言葉は、全人類が背筋を伸ばして耳を傾けなければならぬ金言であり、贅告であり、予言である。

想田和弘

例えば、執拗に殺菌された僕らの手はどのような微生物も受け入れず、体内から生まれる微生物を誰かに届けることもない。方や芋に唾液を混ぜ合わせて酒を作り、その酒を振る舞って家を建て、吐き出された吐瀉物は土に還る。そうやって全身を使って大地と交感し、愚直な循環を続けるアマゾンに住む人々。どちらが地球と共に生きていると言えるのだろう。

森山未來


植物のおかげで人は生きてきた。忘れてはいけない。ヒトのはじまりから、いつもそうだった。
森を歩き、森で歌い、森の水を飲むかれらの生活にまぎれこむとき、強烈によみがえってくるのはそのことだ。
薬草マイキュアが見せてくれるのは、きみ自身の真実。ナンキが撮ったこの映画が、われわれにとっての薬草だ。

管啓次郎


小さな植物を通して地球というクラウドに繋がる少数民族の思想に共感する。アヤワスカやマジックマッシュルームのセレモニーにおいて、主役はあくまで植物だ。太田光海監替はそのことをよく認識している。植物の精霊への畏怖と敬意、それがあって初めて体験が現実と結びついていく。自然界への畏怖が幻覚体験におけるエゴの肥大から人間をすくい上げ、生命の平等性へと啓かれたとき、自らの霊的な課題(ヴィジョン)が無意識の闇の底から現れるのだ。

田口ランディ


彼らは時空を超えた世界と繋がっている。アマゾンから生まれた夢は、都市に暮らす僕を新たな世界へと導いた。この映画は未来に向けて、新たな視座をもたらしてくれる。太田光海という素晴らしい才能に出会えた事が嬉しい。

長谷井宏紀

死人は息を吹かない。息を吹き返すと言って生き返ることを表現するくらいだから、息を吹くのは身体にみなぎる生命力の象徴なのだろう。映画「カナルタ」で印象的だったのは、シュアール族のセバスティアンが息を吹くさまだった。彼がアヤワスカを飲んでビジョンを見ているとき、宙に向かってあちこちに息をフーーッと吹いた。彼は空の中に浮かんでいて、雲を蹴散らしているようだった。恐怖に負けそうな時も吹いた。ここにいる、生きている、と。自分を食わんとする動植物や菌や霊たちに対して、テリトリーを主張するようだった。謎めいた命の息吹が肉体に宿っていて、今生かされているんだ、どうだ、見てみろ! 俺は食えんぞ!と主張しているように見えた。口噛み酒のチチャを作る時も、妻のパストーラはよく噛んだユカをビューーッと鍋に吹いた。吐くのではない、吹くのだ。吐くときは、自分の身体から要らないものを排出するときだ。吹くときは、命の息吹が身体から躍り出る。美味しいチチャになるのだ!映画を見終わって、東京の電車の中、ひとびとがマスクのなかでつくため息を感じる。切ないながら神秘的だ。いろいろあるし、疲れちゃったけど、いやまだまだ、この身体には生命力が宿っているんだ、やられてたまるか、と言わんばかり。生命力を確認する。映画を扉にして、シュアール族の人々に個人的に出逢ったような気持ちにさせてくれてありがとう。

コムアイ


凡庸な受け手は撮影者太田光海と撮影対象セバスチアンとの間に理解が成立していると受け取り得る。だがラスト近くのアヤワスカの場面を含めて所々に露呈する不理解に目を凝らそう。原住民の文明的な装束や撮影者が東洋の文明国出身である等の見掛けをスルーすると、そこには或る不穏さが浮かび上がる。未規定なものを呼び込む徴候がである。これらの徴候はアマゾンから遠く離れた僕らの日常に既に頻出している。目を凝らせ。

宮台真司

スタッフ

プロデューサー・監督・編集・撮影・録音
太田光海

神戸大学国際文化学部、フランス・パリ社会科学高等研究院(EHESS)人類学修士課程を経て、イギリス・マンチェスター大学グラナダ映像人類学センターにて博士号を取得した。パリ時代はモロッコやパリ郊外で人類学的調査を行いながら、写真に傾倒。学業の傍ら、共同通信パリ支局でカメラマン兼記者としても活動する。また、この時期、映画の聖地シネマテーク・フランセーズに通いつめ、シャワーのように映像を浴びる。マンチェスター大学では人類学とドキュメンタリー映画を掛け合わせた先端学問「映像人類学」を学び、学問と映像表現を両立させる手法を体得する。同大学博士課程研究の一環としてアマゾン熱帯雨林で1年間の調査と滞在撮影を行い、2020年、初の監督作品となる『カナルタ 螺旋状の夢』(英原題:《Kanarta: Alive in Dreams》)を発表した。

サウンドデザイン
マーティン・サロモンセン

北欧・デンマーク中部で生まれ育つ。ミュージシャンとして西ヨーロッパを旅したのち、イギリスに移住。ランカシャー中央大学で主にオーディオ・エンジニアリングを学んだ。以後、ドイツ・ドルトムント、フランス・パリ、スペイン・マラガなどでの長期滞在を経て、イギリス・マンチェスターに居を構える。同市にある専門学校、Futureworks School of Mediaでサウンドデザインを教えながら、様々な映画とサウンド面でコラボレーションを重ねてきた。代表作にアンディ・ローレンス監督作品《One Long Journey》(2016年)がある。また、イギリス映画の最重要機関、ブリティッシュ・フィルム・インスティチュート(BFI)主催のアカデミーでサウンドデザインワークショップの講師を務めた。

カラーグレーディング
アリーヌ・ビズ

ブラジル・サンタカタリーナ州生まれ。映画学校で撮影を学びんだのち、サンパウロでカラリストとして働き始めた。その後、アイルランド・ダブリンに居を移し、現在スペイン・バルセロナ在住。ガブリエル・ブレイディ監督作品、《Island of the Hungry Ghosts》(2018年)のカラーグレーディングを手掛けた。同作品はインディーズ映画祭最高峰の舞台であるトライベッカ映画祭で最優秀長編ドキュメンタリー賞を受賞するなど、世界的高評価を得ている。ドキュメンタリー、短編映画、ミュージックビデオなどを多数扱うほか、アルマーニ、ジバンシィ、ディオール、ルイ・ヴィトンなどファッションブランドとのコラボも多い。手掛けた作品が持つ深く沈み込むような独特の色合いは、名付けようのない繊細な魅力にあふれている。カラリストとして活動するかたわら、コラージュアーティストとして個展開催経験があるほか、フェミニスト・アーティスト集団《Rua Nua》を主宰するなど、既存の枠に収まらない表現者としての多面性を持つ。

企画・監督:太田光海

編集・撮影・録音:太田光海

出演:セバスティアン・ツァマライン パストーラ・タンチーマ

サウンドデザイン:マーティン・サロモンセン

カラーグレーディング:アリーヌ・ビズ

グラフィックデザイン:八木幣二郎

協力:マンチェスター大学グラナダ映像人類学センター

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